2. 海水中の人工放射能:
太平洋における137Csの観測結果と
海洋大循環モデルをつかった研究結果

海洋環境における人工放射性核種は1945年以前には全く存在しなかったものである。太平洋における人工放射性核種の起源の大部分は1960年代前半までの大気圏核実験によるものである。これらの人工放射性核種が数十年という期間に海洋環境においてどのように振る舞うかについて、気象研究所では長期にわたり研究を実施してきた。本章では、2000年代に入り主に研究船「みらい」を使って行ってきた太平洋の広い範囲での137Cs の3次元分布の観測結果、北太平洋亜熱帯循環西部での表層137Cs濃度の長期時系列観測結果および137Csの海水中蓄積量についてモデル計算による結果を併せて報告する。

1) 研究概要

試料採取は、海洋研究開発機構の「みらい」による複数のWOCE再観測航海および2002年の気象庁「凌風丸」による東経165度線での2回の定期海洋観測において行なった。図1に航海海域を、表 1に航海一覧を示す。得られた試料は、船上で酸を添加し陸上に持ち帰って処理を行い、137Cs等を測定した。測定に使用する試料の量が少なくても測定できる方法を開発し採用することにより(Aoyama and Hirose, 2008)、試料採取の空間密度を上げることができた。これらのデータを用いて、2000年代の137Csの太平洋での精密な3次元分布を得た。また複数の海洋大循環モデル(OGCM)を用いた1945年からの時空間変動の研究を行っている。


図1 Cruise tracks

表1 Cruise summary from 2002 to 2007

電力中央研究所においては中規模の解像度を持つ海洋大循環モデル(Parallel Ocean Program)と高解像度の海洋モデル(Regional Ocean Model System)による137Cs濃度の再現計算を実施した(Tsumune et al., 2011)。Parallel Ocean Program (POP2.0)は中規模の解像度の渦パラメタリーゼ-ションモデルとした。水平解像度は経度方向に1.125°、緯度方向には赤道付近を高解像とし、0.28°から0.54° とした。また、鉛直分割は40層とし、海洋表層の最小で10 m、海底付近の最大で 250mとした。また、北極における座標の集中をさけるため、極を北米大陸上に座標変換した。またRegional Ocean Model System(ROMS)は高解像度の渦解像モデル(坪野考樹ら、2010)をもとに、北太平洋に拡張した。水平解像度は約1/10° (10 km)、鉛直解像度はσ座標系を用い、30層で最低水深は50 mとした。対象領域は15°S-70°N、 110°E-75°Wの北太平洋全域を含む海域とした。双方のモデルともに、季節変動を考慮した風応力や熱・淡水フラックスなどの気候値フォーシングデータ(Large and Yeager, 2004)によって駆動したが、年々変動は考慮していない。

気象研究所においては、気象研究所共用海洋モデル(MRI.COM)をつかい経度1度、緯度0.5度、JRAの再解析値から作成した気候値を用いて、1945年から2005年までの再現計算をおこなった。

137Csの海面へのフラックスはAoyama et al.,(2006)による全球への137Csの降下量を再構成したもので、すべてのモデルで同じものを使用した。

2) 太平洋での3次元分布

福島第一原子力発電所事故以前の太平洋の海水中の人工放射性核種は、主に大気圏核実験に由来するグローバルフォールアウトが起源である。大部分の人工放射性核種が海洋表面に降下したのは大気圏核実験が盛んに行われた1960年代の前半である(Hirose et al., 2001; United Nations, 2000)。1957年以来、50年以上にわたり、年代により程度の差はあるが、全海洋において海水中の放射性核種濃度が測定されてきた(Aoyama and Hirose, 2004)。また、Aoyama et al.(2006)は、海洋に対するインプット情報として重要な核実験起源の137Cs降下量の総合評価を行った。降下物データ及び土壌また海水カラム量などを世界中から収集し、北半球での降下量を10度メッシュ毎に見積もった。その結果、従来信じられていた国連科学委員会の報告値の約1.4倍の765 79 PBq(1970年1月時点)という値を評価値として得た。国連科学委員会で採用されている考え方-降下量は経度方向には一定-は、重要な因子である降水量の役割を正しく評価しておらず、日本や北米大陸東側での降下量極大域が無視されていた。そのため、従来の評価値は小さな数値となっていた。さらに作成された10度メッシュデータを使って北太平洋に降下した137Csの総量の評価が可能となり、1970年1月時点で290 PBqと推定できた。北太平洋での降下の特徴としては、日本を含む亜熱帯循環北西側での降下量が大きいことが挙げられる(Aoyama et al., 2006)。

1950年代後半から1960年代前半の大規模核実験に起源を持つ137Csは、海面に降下したあと海洋内部の輸送過程に従って海洋内部へと輸送された。降下後ほぼ40年経過した2000年代での海洋内部の分布の特徴として、最初に発見された東経165度線に沿う137Csの断面で見られた濃度極大の特徴はすでに報告している(Aoyama et al., 2008)。北緯24度線に沿う137Csの鉛直分布においても、日付変更線西側の西部北太平洋、深さにして400-600 m、密度にしてσθ = 26.0-26.5付近に濃度の極大が見出された。これらの極大は東経180度線での北緯20度付近の深さ400-500 mに見られる極大とつながっており、さらに図2に示すようにすでに報告した東経165度線での北緯20度付近の深さ400-500 mに見られる極大ともつながっている。これらのつながりは中央モード水による137Csの海洋内部の輸送経路を明瞭に捉えたものであり、世界で初めて明らかになった137Csの海洋内部での3次元分布である。北太平洋中緯度に降下した137Csは、中央モード水による内部輸送(亜熱帯循環内を北緯24度線日付変更線の東側では南西方向に輸送される)に乗るが、西端で深度が浅くなるとともに赤道に沿う東向き輸送となり、太平洋の東端で赤道を越え、赤道の南で西向きに輸送される(Nakano et al.,2010)。その後一部はタスマン海に輸送される。北太平洋では、一部は亜熱帯循環に沿って日本沿岸に戻っている。この点については、亜熱帯循環域での表層濃度の時系列の解析からも明らかとなっている(Inomata, 2010)。モデルによる計算結果を、2003年の観測値である南太平洋(南緯32度)、インド洋(南緯20度)、南大西洋(南緯32度)の経度方向断面の観測値と比較し、よい結果を示すことを確認した。137Csは北太平洋に多く降下していることが観測から指摘されており、北太平洋に降下した137Csは40年程度の時間スケールの海域間の水塊交換を通じて、インド洋を経由して南大西洋、また南太平洋、北極海への供給源になっていることを計算結果から把握した。モデルのバージョンを更新し(POP 1.4.3 → POP 2.0)、新しいモデルのほうが137Csの貫入が深く、観測値により近くなっていることが分かった。東経165度線に沿う137Cs の断面で見られた亜熱帯循環南側の中央モード水に相当する137Cs の濃度極大(Aoyama et al., 2008)は、気象研モデルによる逆追跡により中央モード水の東端を流れていることが分かった。

図2 Combined 137Cs transects in the Pacific Ocean in 2000s from surface to 1000 m depth

3) 北太平洋亜熱帯循環西部での表層137Cs濃度

図3Aに示すように1990年代後半までは、表面海水中137Csの濃度は見かけの半減時間15.7年で減少している(Hirose and Aoyama, 2003; Inomata et al., 2009)。しかし、1990年代から最近まで137Csの表層での濃度は半減期30年の放射壊変の程度あるいはそれよりもゆっくり減少している。この現象を説明するためには、何らかのソースが必要であり、そのソースとして亜表層から中層における中緯度から低緯度側への南向きの内部輸送の後、南向きに輸送された137Csの一部が亜熱帯循環に乗って再び日本周辺に輸送されていると判断される。

図3Bに示すように、モデルによる再現計算の結果においても、図3Aに示す観測結果と類似の結果が得られている。

図3A 137Cs activity in surface water in the subtropical gyre. Solid line: 137Cs decay rate 図3B 137Cs activity in surface water in the subtropical gyre by model calculations

4) 海水中蓄積量の分布

図4および図5に東経179度線に沿う海水中蓄積量の南北分布よび北緯24度線に沿う表面から1000 m深までの137Csの海水中蓄積量の東西分布を示す。北太平洋日付変更線付近での1970年までの降下量は北緯45度付近に極大を示し、降下量はおよそ7500 Bq m-2、南太平洋でも同様に南緯45度付近に極大を示し、降下量はおよそ1000 Bq m-2 であった(Aoyama et al., 2006)。それらに対し、約35年後の観測結果は極大の緯度は両半球とも赤道方向に20度分シフトしていること、また半減期を考慮すると、北半球では蓄積量は降下量の約3分の1となり、南半球では1.5倍に増加していることが明らかになった。北緯24度線に沿う東西分布は、亜熱帯循環西側で蓄積量が多く、東側で少ないという分布を示し、主温度躍層の深さと密接な関係があると考えられる(Nakano et al., 2010)。

図4 Meridional distribution of 137Cs inventory along P14 line, 179 deg. E, in 2007

図5 Horizontal distribution of 137Cs inventory along P3 line, 24 deg. N, in 2005

またモデル計算結果において、半減期を考慮した総降下量とインベントリーの全球分布の比較を行っている(Tsumune et al., 2011)。海域毎に見ると、2003年時点での北太平洋への総降下量は150.2 PBq、インベントリーの総量は86.2 PBqで57 %に減少している。海域内の分布を考慮すると減少量がさらに大きい地点もあり、観測と概ね一致していると言える。また南太平洋においては、総降下量は20.3 PBq、インベントリーの総量は36.7 PBqで1.8倍程度増加している。南太平洋においては海域内の分布が小さいので、観測結果とほぼ同様な結果となった。

本章のまとめ

中央モード水による137Csの海洋内部の輸送経路を明瞭に捉えた2000年代における太平洋での137Csの3次元分布が明らかになった。さらに、赤道を越え南太平洋にいたる輸送経路も捉えることができた。北太平洋では、一部は亜熱帯循環に沿って日本沿岸に戻っていることが推察でき、日本周辺海域表層で137Cs濃度が2000年代に入って減少しないことと整合性がある。複数のモデルを使った再現計算で、再現性がよくなってきており、将来の予測モデル構築の一歩といえる。また、1000 m深までの137Csの海水中蓄積量を半減期を考慮して降下量と比較すると、北半球では蓄積量は降下量の約3分の1となり、南半球では1.5倍に増加していることが明らかになった。また1000 m深までの137Csの海水中蓄積量の北緯24度線に沿う東西分布は、亜熱帯循環西側で蓄積量が多く、東側で少ないという分布を示し、主温度躍層の深さと密接な関係があると考えられる。

[掲載論文]
M. Aoyama, M. Fukasawa, K. Hirose, Y. Hamajima, T. Kawano, P.P. Povinec, J. A. Sanchez-Cabeza. Cross Equator transport of 137Cs from North Pacific Ocean to South Pacific Ocean (BEAGLE2003 cruises), In: Special issue of Southern Hemisphere Ocean Tracer Study of Progress in Oceanography, 7-16, Doi:10.1016/j.pocean.2010.12.003, 2011.

D. Tsumune, M. Aoyama, Katsumi Hirose, Frank Bryan, Keith Lindsay, Gokhan Danabasoglu. Transport of 137Cs to the Southern Hemisphere in an Ocean General Circulation Model, In: Special issue of Southern Hemisphere Ocean Tracer Study of Progress in Oceanography, 38-48, Doi:10.1016/j.pocean.2010.12.006, 2011.

Nakano, H., T. Motoi, K. Hirose, and M. Aoyama. Analysis of 137Cs concentration in the Pacific using a Lagrangian approach. Journal of Geophysical Research, 115, C06015, doi:10.1029/2009JC005640, 2010.


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