5.海水中の人工放射能-太平洋について

 

195431日にビキニ環礁で行われた水爆実験により、第五福竜丸乗組員が放射性物質を含む降灰(いわゆる死の灰)による被曝を受けた事件を契機にして、日本における環境放射能研究が本格的に始まった。気象研究所地球化学研究部(当時は地球化学研究室)は、当時から環境の放射能を分析・研究できる日本有数の研究室であり、海洋及び大気中の放射能汚染の調査・研究に精力的に取り組んだ。その結果、当時予想されていなかった海洋の放射能汚染、海洋を経由しての日本近海や太平洋中緯度域への輸送過程、さらには大気を経由しての日本への影響など放射能汚染の拡大の実態を明らかにすることができた。一方、海洋中の人工放射性核種は1945年以前には全く存在しなかったものであり、海洋の物理的循環、生物地球化学的素過程を解明するための最もすぐれたトレーサーとなっている。海水中の人工放射性核種の分布や経時変動を解明していくことは、海洋学を発展させるとともに、海洋における放射性核種の挙動に関するモデルを確立させていくことに寄与する。そして、それらのモデルを使った海洋における人工放射性核種の将来予測が可能になることでもある。

最近の数年間の研究成果について簡単に述べる。

セシウム137,プルトニウム等の長寿命人工放射性核種について、太平洋における濃度分布と蓄積量を評価できる観測と分析をほぼ完了し、太平洋における時空間変動を明らかにしつつある。得られたデータの解析によると、高緯度域での蓄積量の大きな減少がみられ、北太平洋中緯度でのモード水形成にかかわる亜表層での南向き物質輸送がセシウム137の西部北太平洋での分布に大きな役割をはたしていることを明らかにした。表面での滞留時間の観点で見ると、北太平洋高緯度での14年程度の見かけの滞留時間に対して、北太平洋高緯度から赤道に向けて見かけの滞留時間が長くなり、赤道では20-30年となる解析結果と一致している。また、亜表層での南向き輸送により、1960年代初頭には北緯30-50度の表面混合層内に極大を持っていたセシウム137の分布は、2002年には北緯20度付近の200-500mの極大をもつ分布に変化していることがわかった。(図1)さらに、赤道域への輸送は、深度100-150m付近を中心におこなわれていることも明らかにした。

 

1 東経165度線に沿う137Cs 断面図 (単位Bq m-2)

図中の点はデータを示す。

 

極低バックグラウンドでの測定による深層での正確な濃度の決定も順調に進んでおり、深層での正確な濃度を決定しつつある。また、過去資料をデータベース化し、検索や並べ替えを可能にしたことにより、人工放射性核種の時空間変動の解析が順調におこなえるようになった。

天然放射性核種(トリウム及びウラン系列, 放射性炭素)を用いて、物理的・生物地球化学的素過程を記述する分野の研究についても、粒子状プルトニウムの鉛直分布を化学モデルで説明できるようになり、生物地球化学的に定量化が図られつつある。海水の粒子状物質中の天然放射性核種であるトリウムを分析しその変動を支配している要因を調べたところ、プルトニウムと同様、トリウムも粒子状物質中の有機配位子濃度に支配されていることを明らかにした。これらの核種濃度は海洋生態系の変動と連動して経年変動を示す可能性があることもわかった。

 

 

 

 

〔掲載論文〕(Full texts are not available online, please contact the authors for reprints.)

Aoyama, M., K. Hirose, Temporal variation of 137Cs water column inventory in the North Pacific since the 1960s, Journal of Environmental Radioactivity, 69(1-2), 107-117, 2003

 

Hirose, K., M. Aoyama, Analysis of 137Cs and 239,240Pu concentrations in surface waters of the Pacific Ocean, Deep-Sea Research Part II, 50, 2675-2700, 2003

Povinec, P.P., H.D. Livingston, S. Shima, M. Aoyama, J. Gastaud, I. Goroncy, K. Hirose, L.H.N. Kwong, S.H. Lee, H. Moriya, S. Mulsow, B. Oregioni, H. Pettersson, O. Togawa, IAEA'97 expedition to the NW Pacific Ocean-results of oceanographic and radionuclide investigations of the water column, Deep-Sea Research Part II, 50, 2607-2637, 2003

Aoyama, M., K. Hirose, Artificial Radionuclides database in the Pacific Ocean:Ham database, TheScientificWorldJOURNAL, 4, 200-215, 2004


Hirose, K., M. Aoyama, Y. Igarashi, K. Komura Extremely low background measurements of 137Cs in seawater samples using an underground facility (Ogoya) , Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry, 263, 349-353, 2005

 

Povinec, P.P., A. Aarkrog, K.O. Buesseler, R. Delfanti, K. Hirose, G.H. Hong, T. Ito, H.D. Livingston, H. Nies, V.E. Noshkin, S. Shima, O. Togawa, 90Sr, 137Cs and 239,240Pu concentration surface water time series in the Pacific and Indian Oceans - WOMARS results, Journal of Environmental Radioactivity, 81, 63-87, 2005