1)はじめに
大気中で観測される放射性物質は、ガスや粒子(エアロゾル)として大気中に漂い、やがて地上や海水面に降下する。 その大気拡散や環境動態、また発生メカニズムを理解するには、放射性物質がどのような物理化学性状を持ち、またどのようなエアロゾルを担体としているかを解明する必要がある。 本章では、一例として東日本大震災で発生した福島第一原子力発電所事故によって直接放出された放射性物質の物理化学特性の理解を目指した研究成果を報告する。
2011年3月に発生した事故によって様々な放射性物質が大気・海洋に放出されたが、放出された放射性物質は重量としては非常に微量であるので、放射能測定以外の分析手法で環境試料から検出することは困難であった。 しかしながら、放射性物質の環境動態は、それ自体の性質だけで決まるものではなく、その運び手となる粒子の化学組成、イオン状態、粒径、表面状態といった物理化学特性に支配されるため、担体を含めた物理特性や化学特性の分析は重要である。 微量化学物質の有効な分析手法として、電子顕微鏡や放射光分析などの微小領域化学分析がある。本研究においては、それらの手法を用いて2011年3月14-15日につくば市で採取されたフィルター試料中の放射性粒子の特定を行った(Adachi et al., 2013)。 またそれらの粒子の組成、化学状態、結晶状態をマイクロビーム放射光によって分析し(Abe et al., 2014)、さらに放射性粒子の断面を透過型電子顕微鏡により詳細に解析した(Yamaguchi et al., 2016)。 なお、Adachi et al. (2013)とAbe et al., (2014)は総説として日本語の論文にまとめた(足立,2015)。
2)主な研究成果
一連の研究の中で、最初の研究(Adachi et al., 2013)では、走査型電子顕微鏡(SEM-EDS)を用いて2011年3月14-15日にかけて関東に飛来した放射性粒子を分析し、 セシウム、鉄、亜鉛や多くの核燃料由来と考えられる元素を含み、水に溶けにくい2マイクロメートル前後の球状ガラス様粒子であることを示した。 そして、これらの詳細な物理特性は、事故時における粒子の拡散モデルの精度向上に重要であることを示唆した。
続いて行った研究(Abe et al., 2014)では、大型放射光施設SPring8において、感度の高い極微量元素分析を行い、SEM-EDS 分析で得られた元素(鉄、亜鉛、セシウム)に加え、 ルビジウム、ジルコニウム、モリブデン、スズ、アンチモン、テルル、バリウムが全ての放射性粒子から検出されることを示した。 加えて、マンガン、クロム、銀、ウラン、鉛などの元素も1個もしくは2個の粒子から検出された。また、化学状態や結晶状態をX 線吸収端近傍構造分析(XANES)やX 線回折法(XRD)を用いて分析し、 大気中に放出された放射性粒子が非晶質のガラス状であることを示した。これらの研究成果は、炉内での粒子発生メカニズムの解明へ貢献することが期待される。
さらに、Yamaguchi et al. (2016) は、事故によって放出された放射性粒子を、収束イオンビーム装置を用いて薄片化し、透過型電子顕微鏡(TEM)による分析に供した。 その結果、表面分析ではわからなかった内部の構造、すなわちセシウムが粒子表面に濃集していることを示した。また、銀やテルルなどのナノ粒子が放射性粒子に内在していることも明らかにした。 これらの発見は、放射性粒子の長期的環境動態の予測や粒子生成メカニズムの解明において重要な知見である。
3)まとめ
このように、気象研究所で行った研究により、福島第一原子力発電所事故において放出された放射性物質の大気中の物理化学特性の一部が明らかとなった。 これらの研究はケーススタディであるが、今後様々な発生源から放出される放射性物質の発生源メカニズムの解明や環境動態の予測への貢献が期待される。
参考文献