研究室紹介
温室効果をもたらす微量気体の増加、降水の広域酸性化、放射能汚染の大気・海洋などへの拡大に見られるように、地球環境はかってないほど急激で広範囲な化学的変化を起こしており、これが社会的にも経済的にも大きな影響を与えている。地球化学研究部第一研究室では、こうした様々な環境変化の現状を把握し、変化の原因解明とその将来予測を目指した地球化学的研究を行っている。では「地球化学」的研究とは何か?これを明確に答えることは容易ではないが、温室効果をもたらす二酸化炭素増加に関連した研究を例にとって「地球化学」的研究の一端を紹介する。
大気中の二酸化炭素やメタンといった温室効果気体の濃度は、人間活動の影響により増加していることが知られている。中でも二酸化炭素は、いわゆる温室効果の役半分の役割を担うと考えられており、大気への排出削減が検討されている。将来の大気中の二酸化炭素濃度レベルは、人間活動による二酸化炭素排出と炭素循環に依存して決まることは明らかである。ここで言う炭素循環とは、炭素の「輪廻」のことである。たとえば、石油や石炭などの化石燃料の消費により大気に排出された二酸化炭素は、陸上の植物により光合成に使われ、化学的な形を有機物に変え、木の幹や葉になるかもしれない。また、その木が枯れれば、有機物は酸化され二酸化炭素として再び大気に戻ることになるかもしれない。このように、地球表層の炭素リザーバ(貯蔵庫)である大気・海洋・陸上生物圏の間を様々に炭素が化学的に形を変えながら循環していることを炭素循環と称しているのである。現在では石油や石炭などの化石燃料の消費、土地利用の変化により年に7.1ギガトン(1015g)の炭素が大気に放出され、おおよそ50%が大気にとどまり(3.3ギガトン)、残りは海洋と陸上生物圏に取り込まれているとされている。しかし、海洋と陸上生物圏それぞれの炭素収支については、その評価に大きな不確実さが残っている。炭素循環に関する観測データの不足と炭素循環を支配する物理・化学・生物的課程が十分理解されていないことが原因であろう。
当研究室では、炭素循環研究に関して観測手法の開発・改善を行い、いくつかの重要な知見を得、学会・雑誌などで発表してきた。特に海洋二酸化炭素の測定については、世界のパイオニアのひとつと言っても良く、1960年代後半には、原理的に現在と同じ測定法が開発された。1996年6月、海洋二酸化炭素測定の国際相互比較がドイツの観測船「メテオール」で実施され、当研究室の機器は非常に良好な結果を出し測定の「基準」となった。この国際相互比較の結果は、米国商務省より世界に公表され、当研究室の機器が表紙を飾っている。海洋観測についてはその他にも電量滴定よる溶存無機炭素の測定法、色素法による高精度pH測定法の開発などを手がけ、海洋の二酸化炭素に関して総合的な海洋観測が可能となっている。当研究室で開発された海洋二酸化炭素測定装置は、広くその技術を公表し、気象庁「凌風丸」・「高風丸」、海洋科学技術センター「みらい」などに搭載され、貴重なデータが得られている。これらは海洋観測についてであるが、当研究室では1993年4月以降日航財団、日本航空、運輸省、気象庁などと協力して、旅客機(ジャンボジェット)を利用した上空大気中の温室効果気体及びその関連物質の長期的観測も実施している。現在の二酸化炭素を中心とした大気中の温室効果気体の観測は全世界に展開された地上の観測網で実施されているにすぎない。旅客機を使った対流圏上部での観測はデータ空白域を埋める貴重なものである。観測法の開発からも分かるように「地球化学」的研究の特徴のひとつは、物質をあくまでも原子レベルで見ることにあり、大気圏や海洋などの圏を問わずに行えることである。
これまでに開発した高精度の測定法とユニークな観測に支えられ、海洋では@人間活動の影響による二酸化炭素増加A太平洋亜熱帯循環域での大きな二酸化炭素吸収Bエル ニーニョ・ラニーニャ発生に伴う熱帯太平洋での二酸化炭素放出量の変動C栄養塩の枯渇した状況での窒素固定D南極海での生物生産量などについて報告した。また、航空機観測では、@北緯30度から南緯30度までの上部対流圏での二酸化炭素、メタンの季節変化と長期トレンドAバイオマス燃焼による全球規模での一酸化炭素の増加とエルニーニョ現象との関係を明らかにした。図−1は表面海水中の二酸化炭素は、人間活動の影響が大気のみならず海洋にもおよんでいることを示す図である。1970年と1996年にほぼ同じ場所・時期に観測した大気及び表面海水中の二酸化炭素は、この27年の間に増加していることが分かる。こうした長期的な海洋の二酸化炭素の増加が全海洋で明らかになれば、大気・海洋間の炭素収支についてより正確な評価が可能になると期待されている。また、図−2は対流圏上部の二酸化炭素の観測結果である。大気中の二酸化炭素の増加速度は必ずしも一定ではなく、炭素循環は数ヶ月から数年の時間スケールでゆらいでおり、そのゆらぎはエル ニーニョに関連していることが明らかとなった。
第一研究室においては観測船や航空機を用いた観測の他、気象観測用鉄塔(高さ213m)や室内実験装置を用い、温室効果気体やその関連物質の観測、炭酸物質の化学平衡、炭素・硼素など軽元素の安定同位体の分析法等について研究を行い、次世代の観測に向けた基礎的研究を行っている。

図−1 1970年2月及び1996年2月、北太平洋西部海域(東経160度)で観測された大気及び表面海水中の二酸化炭素。

図−2 北緯25度〜30度における対流圏上部(高度10−13km)の大気中二酸化炭素濃度の変動。